
お気づきですか?
この「Appleユーザー、今昔物語」、今回が100回目になります。
そこで、今回は、Appleについて、私が思っている事をお話ししていきましょう。
さて、先月発売されたiPhone6&Plus、大きくなった画面には、
賞賛の声だけではなく、やや否定的な意見が今までよりも多く見受けられました。
また、ケースの折れ曲がり問題では、センセーショナルに取り上げられ、
簡単に折れ曲がる印象だけが、一人歩きをしていたように感じられました。
実際にテストしたサイトによると、今までのケースより強度は弱いものの、
簡単に折れ曲がるものではないにも関わらずです。
※これが実際のテスト風景。嗚呼、もったいない。
なんでこのような事がおきるのでしょうか?
自分はこう考えています。
iPhoneを擁するAppleの存在が、今までとは違ってしまったと。
今までのAppleは、常識に挑んで行くチャレンジャーでありました。
Macintoshも、iMacも、iPhoneも、iPadも、
いずれもその誕生時には異端な存在でした。
しかし、iPhoneだけは違います。
スマートフォン市場の成長と共に、その存在は主流となってゆきました。
いつしか、追うものから追われるものに変わっていたのです。
それは、iPhoneが、様々な立場の人間から注目される存在になった事を意味します。
その一挙手一投足が、数多くの人の目に晒され、様々に語られるのです。
信者と言われる程の熱狂なファンから、
逆に、常にネガティブに捉えるアンチな方まで、いろいろです。
だからこそ、様々なニュースが取り上げられますし、
特に、センセーショナルなものには、人々の関心が集まりやすくなるのでしょう。
そして、それは、Appleにも向けられてゆくのです。
今、Appleは転換期を迎えています。
多くの企業がそうであったように、
偉大なる創業者から後継者へのバトンタッチは並大抵ではありません。
創業者の築き上げたものとどう向き合い、どう生かしてゆくか。
その舵取り次第で、今以上に発展を遂げられるか、
赤字まみれのどこかの企業のように成り下がってしまうのかが
決まるのだと思います。
では、また。